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2011年5月15日

5月のアロマ教室は「アロマスプレー」

こんにちは!

本日は、5/27~28に行われる「アロマ教室」のお知らせです

昨年大好評をいただいた「虫よけスプレー、消臭スプレー、制汗スプレー」の
いずれか一つをお選びいただき手づくりします。

本格的に暑くなる前に対策をしませんか。

今からでもお申込み間に合いますので、
ご希望の方はお早めにご連絡くださいね


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◆くらしに役立つアロマテラピー(入門編)◆

□■□ 第11回:アロマスプレーを作ろう! □■□


・日時:どの回も内容は同じです
5月27日(金) 10:00~ / 13:00~
5月28日(土) 10:00~ / 
※ご希望が多かった週末開催!お見逃しなく※

・場所…こめはなや はなれ 頼母庵 (たのもあん)
・定員…各回 先着5名 (各回2人以上で開催)
・料金…¥1,500- (材料費込)

・講師…鈴木優子(アロマテラピーアドバイザー/ハーブコーディネーター)
・申し込み…こめはなやへお電話ください

<こめはなや>
◆営業時間:10時~17時 (食事は11:30より)
◆定休日:火・水曜日
◆TEL/FAX 0266-46-3022
◆住所 上伊那郡辰野町小野960


2011年5月11日

浜岡原発が止まりますが

 浜岡が止まることになって、まずはうれしいことですが、使用済み燃料がある限り安全とは言えず、また、他の原発も心配であることに変わりない。

 なんという恐ろしいものでしょう。

 菅首相の表明はアメリカからの圧力があったから、との報道があります。国民の思いが通じたのではないとすると、また更になさけない状態にある日本を突きつけられる思いです。

 なぜ「あたりまえのこと」が通用しないのか私にはわかりません。必ず壊れるとわかっているぐらぐらな台の上に、石油ストーブを載せて火をつけておく人はいないでしょう。石油ストーブならまだ火事になるだけですが、放射能がどれだけこわいか、もう誰しも知っているのですから。

 国民が受けてもいいと法律で決められている年間1ミリシーベルト。30代の人間の5倍影響が大きいという、細胞分裂中の子供たちに、20ミリシーベルト受けさせても大丈夫という政府。いったい何を守っているのでしょうか。お金でしょうか。地位でしょうか。

 人間はまだ逃げられるけれど、植物や小さな生きもの、動物、魚も被ばくしている事、その痛みを私たちはやがて引き受けていかねばならない。蒔いた種はいずれ刈り取らねばならないのが、因果の法則だから。

 鳥インフルエンザや狂牛病、口蹄疫でどれだけ生き物を殺したか。フクシマでエサをもらえず死に至る家畜もだけど、放射能で遺伝子を傷つけられる動植物たちの苦しみを、私たちは引き受けなければならない。

 その痛み、苦しみを感じるから、こんなに毎日が重いのだと思う。

 重いから、これを力に新しい生きかたをゆかねばならないと思う。

 明日は松本で田中優さんの講演会があります。ぜひご参加ください。仔細はしばらく前にお知らせしましたので、そちらをご覧ください。待ってまーす!!

 

ヤマアカガエル産卵

 代かきの為に水を入れたら、今年はすこし時期が遅くなってしまったのですが、ヤマアカガエルがたくさん田んぼに来ていました。

 代かき翌日のたんぼにはいつものように卵と、疲れてボーっとしているかえるが。





 最初の3年ぐらい「ほんとに田んぼを作り続ける気があるの??」と疑っているかのようにちっとも産卵してくれなかったのですが、この頃は信用していてくれるらしく、じっと待っていてくれています。

 水を入れようと思って行った田んぼには、気の早いかえるが産んだ卵が干からびていました。しばらく前の暖かい時期にしっかり雨が降った時だと思うのですが、私たちが遅いので待ちきれなかったのでしょう。こんなことはあまりありません。



 かえるたちは、百姓の仕事をじっと見ていて、卵が無駄にならないように代かきした後に卵を産みます。たいしたものです。この日も60個ほど産卵していました。隣の田んぼは早かったのでとてもたくさん産んでいますが、やはり生き残りのために、分散して生んでいるようです。
 その田んぼで生まれた子ガエルが戻ってきているのでは、と百姓は思いたい。ものです。

 一方、気を付けてトラクターの仕事をするのですが、かえるの密度が濃くて、どうしてもロータリーの爪に巻き込んでしまうことはどうしようもありません。「逃げてくれ!」と念じながらよく見て代かきするのですが。

 ごめんね、翌日にはこんなカエルが。(これが正しい水葬ずら。)



 田んぼには一晩で、サギ、カモシカ、タヌキだと思われる足跡が縦横についていました。カエル目当てでありましょう。こうした動物たちも百姓の動きを見ているのです。
知らないうちにたくさんの生き物を殺し、知らないうちにたくさんの生き物を育て。1+Ⅰは2じゃあない。

 太陽の光と熱と山の水+土のなかの生き物+わからないけどいろんなものたち+百姓の意志=米=ごはん、だよ。バンザイ。



荒しろかき終わって雨降って



 昨日の早朝に山の小さなたんぼのしろをかき、やっと一息。雨がひどい今日は久しぶりに1日休みで、田んぼ周辺を一回りしました。

 ケヤキもすっかりわかばの色に染まり、八重桜が咲き始めました。



 こちらは去年から手入れをやめてしまった山沿いの水路です。左の枯葉が積もっているところが水路。とてもきれいな水路で残念なのですが、頑張って手入れしても数年前の大水の後、水が漏れて田んぼまで十分に届かなくなってしまいました。
 一緒に使っていたおじいさんが、田んぼをやめてしまって、私たちだけで手入れし続けるのが無理になりました。まさに限界水路だった。軽トラが見えているあたりが田んぼです。

 この水路沿いにアズマイチゲが毎年咲くので見に来たのですが、今年は咲いていませんでした。他は、なんだか好きなネコノメソウ。



 そして今年もひっそり山際に咲いていてくれたエンレイソウです。



 次々咲く花たちがうれしい季節です。

水仙ほらさん、びっくりな花



 毎年水仙を届けてくださる洞さんは、40種類くらい栽培されているという事で、これは水仙?と思うような花を見せてくださいます。

 今期2回目の一束。

 この白い水仙は1本の茎に4つほどの花がついていて、それがまた大きい。2本しか咲かなかったというのに、その一つを切ってきてくれました。



 水仙には見えません。南国風。

 こんなのも。


2011年5月9日

今年もヒメギフ蝶の卵を見ることができました



 薄いみどりの真珠そのもの。



 まるで奇跡のような気がする。

 ここに変わらずにいてくれること

 ここで生き続けてくれていること

 さまざまな無機物、有機物のいとなみのバランスの上にこんな卵が産まれ

 そんな生き物たちのおかげで私があること

 今さらのように、ただ、ありがたい。

 「さあ、お前は今、なにができるのか?」そういわれているような気がする。

Unknown

 代替えの休みをいただいた7日。頑張って一反の田んぼに1年寝かしたわらをまき、米ぬか240㎏まいて、耕うん、代かきを一気にやってしまいました。



 1年野積みした藁は、黒くなってぼろぼろです。いい感じ。



 年寄の仕事姿は決まっていて、すきがなく美しい。



 この日の畔で咲いていた花々を少しご紹介。

 サギソウ


 ヘビイチゴの花


 カキドオシとハルジオンのつぼみ


 ニリンソウ

花じゃないけど、山で首輪に枯枝を付けてきたモモ




御柱、晴天に恵まれ無事終了

 

 店の前を通りつつある2の柱です。



 
 矢彦神社の入り口です。



 建て御柱です。



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 出店の合間に写真を撮ったので、見せ場ではありませんがこんな風。

 出店のもようです。



 店の前で。





 

2011年5月2日

ぎりぎり間に合った御柱のお菓子

 御柱グッズ販売用に、お菓子を作って、とずっと前から言われていたけれど、ちっともできなくて。

 ようやく前日になって完成。矢彦神社の4柱の皮を剥いたモミの木と、小野神社の皮つきの松4柱をイメージしてみました。

 「その泥縄なところがいいですね」と常連のお客様に言われてしまいました。



 
 ゆっこちゃんガンバって100個ちょい作りましたが、小野駅前とや出店先などにおいたら2日で完売でした。とてもおいしかったのですが、マボロシのあのお菓子、で終わりそうです。


稲のあかちゃん





 苗間にかけてあったシートを10日で取り、これは2週間ぐらいたったところ。
 なんだか芽の出方がばらついた今年です。寒暖の差が激しくて、管理が難しい。ちょっとイマイチな状態ですが、ま、何とかなっていってくれるでしょう。慣れてきて手抜きしてます。今年の反省。



 


 開店した春にいただいた素心桜の花が、清楚に咲き始めました。だいぶ大きくなりましたが、夏の木陰を作ってくれえる日はまだまだ先です。下からのぞきたいんだけど。それももうしばらく先のこと。

 季節は確実に進んで、花々が咲きそろってきています。自然は変わらないのに、人の心次第でこうも違って見えるのか、と毎日思う春になってしまいました。この重さこそ本来の負うべきものだったのでしょう。能天気に喜んでいた春が、遠く懐かしく思えます。