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2010年10月21日
梅おにぎり
数日晴れが続き、よく乾いたので二枚の田んぼを一緒に脱穀。たんぼの面もかたまったので、軽トラを入れて米を集める事が出来、少ない休みでありながら一番いい状態で秋の仕事を納める事が出来ました。
ゆっこちゃんのパートナーのひろくんが手伝いに来てくれたので、4人の作業となり、脱穀しながら米運びとはぞの片づけを同時進行。若干の後片付けを残しておおかた半日で終わりました。ありがたかった!
こちらは小さな混植米の田んぼです。いそがしくて手抜きの農作業ではありましたが、たくさんの友人たちの力をお借りしての農作業はたのしいものでした。
終わってから、店の下の畑の草刈りをし(すいかや瓜類、かぼちゃの畑がすっかり草に覆われてしまっていました)夜に手がジンジンすると思ったら、指が赤くはれていました。
米運び担当だったので、気がつかない間に重い袋を持つ手がこすれていたようです。お風呂でよくもみもみしたのですが、太い指がさらに太く赤くて本当に百姓の手らしくなっていました。
よくよく動いてくれる百姓(と言っていいかどうか分かりませんが)の手。ほほにあてると、その熱さがなんだか誇らしいような気もするのです。母も父もいつもごつごつした荒れた手をしていました。
母が昔の思い出を話してくれました。リヤカーであったか、荷車であったか定かではないのですが、足踏み式脱穀機を田んぼに持っていって稲をこいていると、祖母が小さな体で唐箕をかついで田んぼまで上がってきたそうです。
「なおこ、早く行って手伝ってこい」と行かせたもんだ、と言います。唐箕はそうとう大きなもので、確かに木でできていて担げないほど重くはないかもしれませんが、小さな体で長い登りの道を運ぶなどちょっと考えられないものです。
私は唐箕を担ぐ祖母を覚えてはいないのですが、山の田んぼにお茶を運んできてくれる祖母の姿は、今も目に焼き付いています。小さな背負いびくに手作りのうす焼きだの、煮物だのを入れて丸くかがんでしまった背中にせおってとぼとぼと道を辿ってくる姿は、なんだか思い出すだけで胸がいっぱいになってしまいます。
自家製の小麦粉と卵で厚いクレープのような「うす焼き」を焼いて、やはり祖母が飼っていたみつばちの蜂蜜をぬってたたんだものが、よくおやつにでたものです。夏はほかに凍りもちもよく食べました。買ったものなど何もなかったそのころ。山の水を汲んできて、田んぼで火を焚いてお湯を沸かしてお茶を飲んだり、合間に山をごそごそ歩き回ったり。川に降りて遊んだり。
ちゃんとしたものを食べたいから農を続けている、というのは一部分で、小さなころの土とひとつであった暮らしの方を向きたくて、すこしでも近くにいたくて続けているような気がします。
赤い手からすっかり脱線してしまいました。
今週末はかやぶきの館の紅葉祭りと、北小野農協のお祭り出店で、しばしバタバタの日が続きそうです。