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2010年3月31日

母と兄が伝染病で




 ご近所のよく店に来てくださる方から、「法事に若い人が来るから、アレを。」と言われて、玄米トマトドリアをケータリングしました。他にオードブル一皿。

 すぐ近くなので、夕方に二人で歩いて届けました。
 
 普段、休みの日にたまーに店に来させてもらえる、お店大好きももちゃんが、この日はおばあちゃんの気まぐれで店に入れてもらえていました。

 

「あ~あ、行っちゃった。ワタシも一緒に行きたいなあ。」(フラッシュのライトのところにゆっこちゃんの後姿。見えます?)


2010年3月30日

雪の朝(あした)の

 30日。2月の半ば並みの寒さだそうです。
 雪がやんで、澄んだ明るい青空、ですがすごく寒い。
 家の軒にこんなつららが。

 「雪のあしたの三日洗濯」と、こんな日は呪文のように言ってしまいます。こんな日は三日ぶりに洗濯をするという意味なのか、なんなのか。子供の頃から聞かされ続けると、脳が条件反射するようです。たしかに洗濯ものの白さも映える日でした。

すっかり冬景色



 醬油仕込みの後から降り出した雨が、夜には雪に変わり、すっかり冬景色です。昨日でなくてラッキーでした。





 この日は、地元の保育園からお弁当の注文があり、朝から煮た煮物を早く冷まして煮含めたくて、天然の冷蔵庫に入れました。ひえひえ~。

今年のしょうゆを仕込みました



 28日、東京や三重からの仲間と一緒に、今年のしょう油の仕込みをしました。
 明科の丸山造醸所に作ってもらった、丸大豆と地元麦の麹に、塩を混ぜる「塩切り麹」を作っているところです。麹の胞子がモウモウろ舞い上がるので、マスク必着です。

 「寒いから冬並みに着こんで来て」とくどいほど伝えたので、みんな着膨れ気味。

 実は、日曜日のため店は営業しており、お客様は、この店の庭で繰り広げられる怪しい光景を見ながらお食事をされているというわけで。実におかしく、あったかな雰囲気の一日となりました。




 よく塩を混ぜたら樽に入れて、水を加えます。水は湧水など美味しいものを使いますが、私たちはお手軽に母屋の浄水器のπウォーターの水を運んで入れています。ちなみにお店の浄水器は、セラミック使用のC1を使っていて、こちらもかなりおいしいのですが、出てくる水の量がπウォーターの方が多くて早いのです。



 よく混ぜて、ネットで覆って終了です。暖かなハウスの中において発酵を早めます。これから一か月は週一で天地返しをしなくてはなりません。ここで早く塩を溶かすことで、納豆菌にやられるのを防ぐのです。ここで管理する二樽以外の四樽分は、それぞれの家において管理するためもって帰ります。おおかた終わったころ、雨が降り出しました。





 頼母庵で温まりながら、おさらい中。お疲れさま!おいしいおしょうゆ作ろうね!

2010年3月24日

今年の米づくり始動



 いよいよ今年の米作りの第一歩、種もみの塩水選と温湯消毒をしました。 
 
 塩水選は調整した濃度の塩水にモミを入れ、浮いた充実していないモミを捨て、生命力の強いモミを選ぶ技術です。温湯消毒はいうなれば低温殺菌。60度ぐらいのお湯に7分から10分浸すことによって、病気を防ぎます。農薬を使わずにお米を育てるためには重要な仕事の一つです。

 こめはなやでは例年、コシヒカリ、明神もち、黒米、混植米の4種を作っていますが、それぞれ塩分濃度が違います。塩水に浸して浮いたものをすくい、よく洗い、脱水機にかけ、温湯で7分浸し、水に漬けて冷ます。以上の工程を、それぞれの濃度の塩水手行い、全部で30分以内にやり終えないと、発芽率が下がると言われています。うちではお風呂の湯船にたっぷりお湯を張って、モミの消毒をします。

 久しぶりの緊張感に気持ちが引き締まります。

 

 終わって水に漬けた種もみです。一日に1、2回空気を吸わせて水を替え、来月半が過ぎのモミまきまで大切に養生します。

 ことしの田んぼはどうなりましょうか。去年みたいに雨ばかりの夏でなければいいのですが。とりあえず今夜は、1年に一度のたっぷりモミ風呂を楽しみましょう。

2010年3月23日

いえいえ

私の祖父は、墓マニアであった。

飲んだくれの親の反面教師のお陰で
小学校しか行けなかったものの、のし上がったらしい。
なぜだか知らないが、晩年はひたすらお墓に時間とお金をつぎ込んでいた。

で、祖父が亡くなった時に、
「床下を掘ってみろ、お金が入ったカメがあるぞ」と親戚に母は言われたらしいが、
家族は知ってたから笑ってた。お墓になっちゃったよん、全部。

そして残った。広いお墓と墓石たくさん。
それもケヤキの大木の下。杉の木のそば。

春の墓掃除。
分厚く積もった枯葉にため息。
毎年二人でやっても半日仕事になってしまう。
いつもは杉っぱは焚きつけに、
ケヤキの葉は肥料にと
十数袋もちかえるのだけれど、
今年は濡れた枯葉のほかはおおかた燃やすことにした。

古い墓石は苔むすに任せて、
祖父の建てた九基の墓石は、毎回水拭きする。
雑巾が緑色になる。

ごしごし磨いていたら発見した。
私の祖父のそのまた祖父は、
家を息子に譲って、牧師になって夫婦で国後島に渡ったという。
どんな暮らしであったのだろうか。寒かったろうなあ。

墓石のてっぺんを磨いていたら、誰かの頭をなでているような気がした。
墓掃除も悪くない。ね。

それにしても田舎の「家」を守るって
昔のように大家族ならいいけれど
一人二人になると、これまた限界家族って感じだよなあ・・・。


いい写真




 20日の夜に地元の2ヵ所の公民館に配達した、オードブルと折詰めです。この時期は色々な会の引き継ぎ時期で、このようなおつまみ盛り合わせのようなものを、ポツポツたのまれるようになりました。フツーのオードブルではもう飽きてしまい、皆食べないでほとんど残してしまうのだそうです。「珍しいからいい」と言われるのですが、野菜中心で手作りの物が当たり前の私たちには、どういう風に珍しいのかよくわかりません。(笑)

 器を返しに来てくれた方に「食べてくれましたか?」と聞いたら、「食べた、食べた。よかったわあ。」と言ってもらいホッとしました。




 

2010年3月16日

俳句

 3月7日付けの辰野新聞(市民新聞)、「諏訪・上伊那の生き物語り」に、小野の小野章さんが文章を寄稿されていました。このコーナーは動物、虫、昆虫などいろんなものが取り上げられて、今回の56回目は小野さんの専門のヒメギフチョウでした。

 「スプリング・エフェメラル」(春の短い命)と、この蝶やギフチョウ、ニリンソウやカタクリのことを呼ぶのだといいます。なんときれいな言葉なのでしょう。このひとことで、早春の山際の小さな花たち、ニリンソウだけでなくアズマイチゲや、色とりどりの小さなスミレたちを思い出して愛おしく思えます。

 そしてウスバサイシン。もう8年前にもなるでしょうか、山仕事塾の朝の集合時間に、何気なく道際のウスバサイシンの葉をめくっていた私は、初めて小さな真珠のようなヒメギフチョウの卵が、8個ぐらいくっついて輝いているのを見つけたのです。「もしかしてあるかも」と思っていたわけだけれど、「あるわけないよね、こんな所に」とも思っていたから、その喜びはひとしおでした。

 山仕事塾終了あと、夢中であたりの斜面にあるウスバサイシンをひっくり返して数えたら300個以上の卵が見つかりました。いつも田んぼの仕事で行き交いしている場所に、毎年こんなに美しいものたちが命をつないでいたのか、と深い喜びでいっぱいになりました。

 小野さんの研究によると、春が暖かだった2002年に、例年よりとても早く雄の羽化が始まった。まだ緑が萌えるには早すぎる時期で、「食草も出ないのに気が早いヤツが出たんだろう」と思ったそうです。しかしその翌日ウスバサイシンの葉が地上に出始め、3日後雌が羽化を始め、その日に産卵が確認されたというのです。すべて5日間のうちに起きたのです。

 「目も見えず動くこともできず、枯葉の上に転がっていた蛹からヒメギフチョウの雄が羽化するのと同時に、光も届かない土中から食草ウスバサイシンが葉を広げ、直後に雌が蛹から目覚め、交尾し、まだ若い食草に産卵する。毎年繰り返されるであろうこれら一連の営みは、よく考えてみれば、奇跡のように思える連係プレーです。」と。

 早く産卵すれば、その幼虫は早く孵化し、食草を十分に摂ることができる。しかし早すぎる羽化は、産卵できず体力を消耗してしまう。その絶妙のタイミングで羽化と食草の萌芽が連携しているというのです。
 山の木の種を採り、苗を育てるシードハンターの清水馨さんにも、同様の不思議な話をいくつも聞いたことがあります。氏は、木の種をリスなどが運んで埋めて忘れるので、新しいところに芽が出る。という一般の説明を間違っていると言っておられました。木の実は地面に落ちるとすぐに虫が入る。よしんば動物が運んで埋めたとしても、なぜかその木が育つ条件のないところには芽を出さない。太陽の光を受けることのできる、林縁や空間があるところに芽を出す。そういった場所を選んで、動物が種を埋め、その種には虫が入らないということが起こっているのではないか、と清水さんは言います。

 また、藤は森林の荒廃につながるとして嫌がられるけれど、林が健康な時には地面に地下茎を這わせて、地表には少しばかりの葉っぱをところどころに出しているだけだ。手入れが滞り、立ち枯れや病気の木があると、藤はツルを伸ばしてその木に巻きつく。いうなれば掃除屋だ。また、自然植生の森を観察すると、まったく木が生えない草地がところどころに形成される。それが何の役割をしているのか、人間にはわかっていない。植林するときに、人はべったり全面に木を植えるが、それは間違っているのではないか。などなどおもしろい話がつぎつぎと。

 そこには“裸地をなくし、植物そして最後は樹木で地表を覆う”という「自然の意志」が全てをコントロールし、精妙なバランスを保っている、と言うのです。そういう目で、先ほどのヒメギフの羽化の話を見ると、微生物や昆虫、動物も含めて緻密に繋がり、コントロールしているのであろう「自然の意志」の存在を、改めて感じさせられます。

 以前は「自然の意志」などと聞いても、頭で理解していましたが、2年前に青森の六ヶ所村に行って身体で納得しました。六ヶ所村は原子力関係の核施設がいくつもある村です。海と湿地と森におおわれた本当に美しいところなのですが、その場にいるだけで苦しくなるような、深い痛みと悲しみの気に包まれていました。その場にいた皆が、自然が被っている苦しみをからだで感じて、つらくなってしまいました。確かに自然には意志も感情もあると、その時初めて感じたのでした。

 虫を見つめ続ける。鳥を、木を見つめ続ける。畑の植物相を見つめ続ける。田んぼの動植物を見つめ続ける。そんな時間と思いを、そして時にはなにがしかの犠牲を払うことで、少しずつ「自然」が秘密を見せてくれるのでしょう。その秘密に私たちも生かされているはずだと思うのです。


 ヒメギフチョウはなかなか見ることがなくて、小野さんが研究していたという場所を教えてもらって何度も見に行きましたが、遠くからふわふわ飛ぶのを見ただけでした。ところが昨年の春、山際の小さな田んぼの水路掃除に半日費やし、日影に座ってお茶を飲んでいた「こめはなや」スタッフの3人の前に、なんとヒメギフが優雅に現れ、目の前にとまって長いこと美しい姿を見せてくれたのです。その後も仕事をする私たちのそばに、しばらくふわりと飛んでくれていました。「よくやってるね」と山の神さまが喜んで、褒美をくれたように、私たちには思えました。その水路はかつて6枚の田んぼを潤わせていたのですが、今はすべて耕作放棄され、うちの田んぼ一枚になってしまって、私たちがあきらめたたら、小さな植物や生き物たちもそこで生存できなくなるのです。

 人間も動物の端くれなのだから、きっとその「自然の意志」とどこかでつながっているのではないだろうか。だから自然の秘密が知りたい、見たい。つながりたい。なんだか願いはそれだけのような気するこの頃です。

 なのになのに店で仕事をしている時間の方が長くてねえ。なんでしょうかねえ。ま、これも楽しいからいいんだけど。

 最後につまんない落ちで申し訳ないけれど、去年小野さんの観察地の近くを通った時、明らかにプロの昆虫採集業者2人がネットを持っているのに出会いました。高く売れるからって貴重なスプリング・エフェメラルを、採ってイイのかああああ!!なおちゃんは怒ったぞ!しかしどうにもできなんだ。くやしい。人間てのはつまらんもんだ、とまたまた思ってしまった。



2010年3月14日

自分の場で

 8日は米山さんのほかに、手作りのアロマオイル持参で私たちにマッサージをしてくれたU子さんと、これまた偶然にもアロマにかかわるともちゃんが揃いました。

 雪景色の午後のゆったりした時間に、女たち5人、アロマの香りに包まれながら手のマッサージに全身暖かくなり、いい考えが!!浮かんじゃいました。

「こめはなやでアロマ教室やらない?」
「それからさあ、米山さんの自然観察会もやりたいよね!鳥とか、動物のサインの見かたとか、植物あそびとかさあ。」
「いいね、いいね。」
「ハーブ畑も作っちゃう?」
「えッ植えていいの?」
「良いに決まってるじゃん、こんなに畑あるしさああ。」
「アロマ化粧水とか、虫除けなんかもできるんだよ。」
「へええ!」
「で、で、いつする?」

 なあんて。楽しくてうれしい午後。

 一年間、月一ペースででやりたい、と計画中です。こうご期待!






2010年3月13日

大雪

大雪が降ると
隣組に朝の雪かき召集がかかる。
担当の道路を皆で雪かき。
裏の道、オジサンたちの雪かき。

おいらたちは国道の除雪車の寄せた、重い雪相手。

ああ、ゆううつ。